うらひろの日記

その場で思ったこと、好きなもの、書いてみます。

ソウルは一つになったのか

先日、ある作品の公式完全読本なる書籍が発売されました。

 

その作品「騎士竜戦隊リュウソウジャー」は個人的に色々と思うところがある作品ですので、何回かに渡って私なりの分析を書き記したいと思います。

 

事前に申し上げておくと、かなり重めの内容になりますのでご注意ください。

 

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参考図書:

・「リュウソウワールドへ行こう!」

・「トリプルレッドが出会ったら」

東映特撮ファンクラブ会員限定

「騎士竜戦隊リュウソウジャーテレビシリーズ完結記念 東映プロデューサースペシャル"ケボーン!"鼎談」

・「騎士竜戦隊リュウソウジャー公式完全読本」

 

 

今回のポイント:

①丸山真哉プロデューサーの目指した方向性

本作はスーパー戦隊シリーズ第43作目として製作され、近年深刻な売上減少に直面している現状に対し、不動の人気を誇る「恐竜」モチーフが採用されました。

「恐竜」モチーフだと6作前に「獣電戦隊キョウリュウジャー」が製作されており、本作の商品展開やメンバー構成はそれを意識している部分が多々見られました。

東映プロデューサーの丸山真哉氏(以下丸山P)はインタビューで「強くて明るい王道なヒーローを目指した」と一貫して述べており、初期段階では"第二の「キョウリュウジャー」"を目指していたと考えられます(丸山P自身は過去の恐竜戦隊を意識していないということなので、どちらかというと玩具販促側の事情でしょうか)。

 

その丸山Pの経歴ですが、東映特撮だと「ビーロボカブタック」「鉄ワン探偵ロボタック」「美少女戦士セーラームーン(実写)」などに関わっており、近年では「遺留捜査」「特捜9」などのドラマをプロデュースしておりました。

20年以上前からプロデューサーを務めるベテランなのですが、戦隊は初めてという珍しい方です。

そこで私が注目したのは、丸山Pの人を見る目です。

人事といったらいいのでしょうが、とにかく人の動かし方が上手だと思います。

自分と肩を並べるもう一人のチーフPに「仮面ライダーゴースト」に関わった若手の高橋一浩氏を配置したのですが、彼の人脈や考えを基本は受け入れる姿勢を見せることで若手がベテランに萎縮しないような体制を作り上げてました(プロデューサー2人体制は丸山Pだけの意向ではないと思われますが)。

キャスティングにおいては、明るい演技も少し湿っぽい演技も両方出来るような未来ある若手を揃えてましたし、そこに発奮剤としてナダ(長田成哉氏)を投入して若手にプレッシャーを掛けるなど、飴と鞭を使い分けておりました。

またピーたんとプテラードンの同じキャラでありながら全く声質の違う演技を求められる草尾毅氏に対しても「カブタックでお願いします」と声を掛けたという逸話もあります。

ピーたんからプテラードンへの声変わりは良い意味でまんまカブタックのスーパーチェンジであり、個人的にはとても嬉しかったです。

 

スタッフの選出に関しても丸山P自身の人脈を活かしているのですが、その結果戦隊としては新しい布陣が生まれる形となりました。

物語の導入を担当するパイロット監督には、初めてのパイロット演出で初めての戦隊演出となる上堀内佳寿也氏を選出。

堀内監督はメイン監督としてパイロット、劇場版、最終回を務め上げました。

そしてシリーズ構成を担当する脚本家に、こちらも戦隊初参加で特撮初参加の山岡潤平氏を呼びました。

このように、戦隊初参加の面々が作品の舵取りを行ない新たなる地平線を目指したのですが、その船出は難航を極めました。

 

前述のとおり、丸山Pは"強い、明るい、王道"を目指したと述べているのですが、出来上がりの第1話にはそのような要素が微塵も感じられませんでした。

インタビューによると脚本家の山岡氏は第1話で「急に力を手に入れて苦悩したり、大事な人をいきなり失ってヒーローがどうするかを描きたかった」と述べております。

………丸山Pとちゃんと話したのでしょうか。

第1話を見るに山岡氏は、コウ、メルト、アスナの3人はリュウソウジャーとして選ばれたものの、まだマスターに頼りっきりの半人前ぐらいに考えていたのかと思われます。

その3人の目の前でマスターたちは、ドルイドンとマイナソーによって亡き者にされてしまうことでコウたちの喪失感と、それでもソウルを受け継ぎ、地球の平和のために前進することを選ぶというヒーロー性を描いておりました。

要素だけ並べれば「星獣戦隊ギンガマン」に近い展開なのですが、出来上がりは事故感満載。

恐らくパイロット演出の上堀内監督にも原因はあるのでしょうが、山岡氏の考える喪失感やマイナソーの強大さを描くために、全体的に殺伐とした寂しい場面が多くなってしまったことが良くなかったと思います。

しかしそれで製作されたということは、プロデューサーである丸山Pが認めたということになります。

本作は前々作「宇宙戦隊キュウレンジャー」前作「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」と異色作が続いたことでメイン視聴者層の人気が下がり、崖っぷちに立たされた戦隊シリーズを復活させる意味合いも込められて製作されたのかと思われるのですが、何故作風が暗くなることに「待った」を掛けなかったのでしょうか。

丸山Pの掲げた"王道もの"に対する理解に首を捻らざるを得ません。

 

散々な船出を迎えた本作は、設定面でも色々と問題が見られます。いくつか挙げてみると

・怪人枠のマイナソーは自然発生タイプとクレオンが生み出すタイプの2種類があるものの、どちらにも敵組織のドルイドンは直接関与してない

・人間の負の感情を吸収して強くなるマイナソーの設定が分かりづらい故に、熟練のスタッフでも見せ方に困惑してる

・番組のキーアイテムであるはずのリュウソウルの設定が説明されるのは総集編の第23話と遅い

・それぞれの騎士竜と相棒という設定だが、まともな会話を1.2回しかしてない

など枚挙に暇が無いのです。

 

特にマイナソー関係は最初から最後まで定まりません。

マイナソーの設定が複雑化していた要因として、ロボの玩具を売るために巨大戦に注力しようとした結果だと考えられます。

現に第1話でのキシリュウオースリーナイツのアクションは、スピーディで非常に気合の入ったものでした。

しかしその面を重視した結果、リュウソウジャーが等身大でマイナソーを倒すことはほとんど無く、なし崩しでロボ戦に流れ込むという、ヒーローが敵を倒すカタルシスと、改めて巨大戦に向かうというメリハリが失われたとても面白くない流れが出来上がってしまいました。

あちら立てればこちら立たずではなく、意図的に片方を落としたら一緒に落下したみたいな状態です。

これでは異色を狙ったというよりも、ただ王道の逆張りをして足元を崩しただけです。

もちろん挑戦することは否定しませんし、王道と変化球を交えてきたからこそシリーズは存続してきたのだと強く思うのですが、本作は崖っぷちのシリーズを救うべき作品だったので、視聴者を選ぶような複雑な展開は避けるべきだったと思います。

 

設定面が複雑な要因として、丸山Pの妙なこだわりも関わっていると思います。

「トリプルレッドが出会ったら」での脚本家香村純子氏のインタビューで「劇中でのあるギミックを使って展開を考えたら、設定と違うからと丸山さんに止められた。しかしその設定が周りに浸透しておらず何だよ!ってなった」という旨の発言があり、本作には丸山Pしか知らない設定が大量にあるのでは、という疑惑が生じました。

「"ケボーン!"鼎談」ではバンバとトワの裏設定を考えていたとのことですが、あえて説明はしなかったとも言っており、物語の舵取りに対して他人と情報共有してないのでは。

また「公式完全読本」での山岡氏とのクロスインタビューを読むと、立ち上がりと終わりの展開を2人で考えて、あとは特に決めてないようなことを話しておりました。

 

設定やキャラ描写に対しても、こだわりの方向性がズレていると感じました。

「公式完全読本」での渡辺勝也監督のインタビューにて「大人のドラマの作り方なのかホン合わせは軽く二時間くらいで終わらせ、ライターが持ってきたホンに丸山Pが手を加えて決定稿になっていた」と述べており、全ての回なのかは不明ですが丸山Pが手を加えているということがあったようです。

前述の香村氏のように自分で考えた設定と違うことになるのを恐れたからと考えられますし、確かに脚本家が暴走して好き放題に書かれてしまっては作品の舵取りに支障が出る可能性があるので、このやり方自体はおかしくないと思います。

問題はその設定を自分の脳内だけで処理し、スタッフ間で明確に共有していないことだと思われます。

現に戦隊に長く携わってる渡辺監督や加藤弘之監督、坂本浩一監督などはインタビューにて、王道の基準が定まってない序盤は演出に戸惑ったという旨の発言を口を揃えて言ってます。

 

山岡氏の影響も強かったと思われるのですが、本作は意識的にセオリー崩しというか、これまで触れられなかった設定を取り入れたりもしてます。

例を挙げると、14話で登場したマイナソーの宿主がホストであり、その男に貢いでいる女が出てくるというもの。

14話演出の渡辺監督も驚いたとのことですが、丸山・山岡両氏の「今年は変える!」という信念のもとそのまま撮影したようです。

そのおかげで第14話は屈指の大事故回になりましたが…。

インタビューを読んでいても、丸山・山岡両氏は既存を崩すことしか考えておらず、何故そういった設定がこれまで使われていなかったのかというところまで考えが及んでないような節が見られます。

また既存を崩すなら崩すで、それに代替する面白さを提示しなければいけないのですが、代わりに打ち出したのが複雑なマイナソーや、ヒーローと交流しない騎士竜といった冴えないものばかりでした。

ストーリー展開においても刑事ドラマなどを手掛けていたプライドが働いたのか(現にキャラ描写は刑事ドラマでのノウハウを活用してると発言あり)、子ども番組に対する逆張りの態度だけは一貫してて非常によろしくありません。

熟練のスタッフが積んできたノウハウより自分の考えを押し通して、最終的に周囲を巻き込みながら落とし穴に落ちるという最悪のパターンです。

 

長期シリーズにおける革命的な作品である「鳥人戦隊ジェットマン」は、既存のヒーロー像に対するアンチテーゼを取り入れ、逆にそこからヒーローとは何かを見出すというテクニカルな術を脚本家井上敏樹が披露しておりました。

しかし革命を起こした井上氏も「ジェットマン」の5作前である「超新星フラッシュマン」からサブライターとして参加しており、戦隊におけるノウハウを学んだ上での登板でした。

"異色"を狙うなら"王道"を知っていないといけないというとても良い例です。

山岡氏は戦隊という新しいジャンルに挑戦したにも関わらず、自身のスタイルを適応させることができずに皮肉にも「限界を決めるのは自分自身」であることを体現してしまいました。

 

なんだかとても否定的な意見が目立ってしまったので、良かった点も。

丸山・山岡両氏の新しいことに挑戦しようという姿勢はとても評価でき、特にキャラ描写に関しては個別の掘り下げを行うより、会話の際の雰囲気によって立たせるという手法を取っていたとのことです。

個人的にトワが一番成功だと思ってまして、目立った個別回は少ないのですが、メンバーの中で誰とも話している印象が強く、バンバと同じリアリストでありながらも、少年のような捻くれた部分と素直さが同居してるという難しいキャラ造形を上手く表現できてたと思います。

またカナロも女性ゲストが出ればすぐに取っ掛かりが出来るなど、分かりやすいかつ納得のいく動きを見せていて、全体的にキャラ造形の完成度は高かったです。

まあキャラの取っ掛かりのきっかけを作ったのは15.16話での荒川稔久氏の脚本だと思いますが、そういった面においても、丸山Pの人の動かし方が良い方向に作用した結果だと思います。

ただ、キャラ造形に関して山岡氏は「誰だったらどうするということは特に考えず書いた」と話しており、前作「ルパパト」のように細かい積み重ねでキャラがどう変わり、最終的にどうなるかという終着点を考えていないように見えました。

丸山Pはある程度キャラ描写にはこだわっているものの細かいことは決めておらず、どちらかというと「そうじゃない」と思ったことを潰しているような印象でした。

両名の意見をまとめると、大まかなキャラ設定をちょくちょく弄るような印象なのですが、良い悪いは置いといて、それ以上は好みの問題になるかなとも感じております。

 

丸山・山岡両氏の挑戦的な姿勢は、長いシリーズにおいて一種の刺激剤のような作用をもたらすものとして本当なら歓迎したいところです。

まだシリーズに余裕がある時であれば受け入れられたと思うので、実にもったいない。

本作での経験がシリーズにおいて、また丸山・山岡両氏においても大きな実を結んでくれることを願って、今回は締めとさせていただきます。

 

次回に続きます。