うらひろの日記

その場で思ったこと、好きなもの、書いてみます。

ウルトラマントリガー「笑顔を信じるものたちへ」

ウルトラマントリガー』

第25話「笑顔を信じるものたちへ〜PULL THE TRIGGER〜」

(監督:坂本浩一 脚本:ハヤシナオキ)

 

おいおいおいおい

どうしてこうなった。

 


前回から引っ張ったテーマを何一つ完遂することなく、唐突に差し込まれた"光と闇の融合"と過去作要素にひたすら困惑させられ続ける悪魔のような最終回。


冒頭、前回の勢いそのままにメガロ大先輩Ⅱに立ち向かうWトリガーがGUTS-SELECTの支援あってもあっさり敗北してしまい、それ自体は良いのですが、変身解除に追い込まれたケンゴがつい先程までナースデッセイにいたアキトとユナのシャトルに回収され一時帰宅するという正気を疑う描写が差し込まれ、前回の最後でGUTS-SELECTが示した覚悟を早々に台無しにするという、もうキャラクターの動向が雑とかそんなレベルでは治らない大失策。

RPGに例えればセーブ不能の魔王城に突入してラスボスに挑むが歯が立たないことに戦闘中気付いたため、戦闘から逃げ出して脱出呪文で城下町に避難してるようなものであり、かつてここまでインスタントに臨める最終決戦があったものでしょうか。


「コアの力に直接触れて分かったんだ。カルミラの暴走を止めるには、彼女の持つ力と同等の力…エタニティコアの、光と闇の力で中和させるしかない」

大先輩との戦闘中、暴走したエタニティコアの力をお借りしたケンゴが唐突に「コアの意志」みたいなものを聞いたと告げるのですが、布石がほとんど仕込まれていなかったコアの中から最終決戦における命題が示されてしまい、作劇の粗によって定義付けを放棄され、何故この世界に存在しているかも不明な超パワーが物語の鍵を握るという本作の真骨頂とも呼べるダメ展開。

更にその結論が元々トリガーの物であったイグニスの持つトリダーの闇の力をケンゴに返せば、光と闇の力を使い戦えるというもので、う、う、受け渡し可能な闇って何?

本作において"光と闇"は概念的なものではなく、トレーディングカードのような携帯性を秘めた物質となってしまい、その媒体となったハイパーキーは扱いの不明瞭さも相まって実に中途半端な描かれ方をなされることに。

これは序盤から感じていたことなのですが、超古代から存在した力を現代の技術で引き出すというアイデアは面白かった一方、石版から力を取り出す(パワー、スカイ)、別世界のウルトラマンの力を再現する(ゼット)、本人が直接力を注ぎ込む(リブット、イグニス)、無から生えてくる(トリニティ)など悪い意味で自由度が高いため、制作側でもあまり取り決めが無かったのではと勘繰ってしまいます。

終盤においては都合の良い箇所だけ抽出されてしまったようでキー=鍵という名を冠していながら、物語の鍵になり得なかったのは非常に残念でした。

おまけに第22話のトリニティキー譲渡を引き合いに出して受け渡しに説得力を持たせようとするのですが、本作特有の中途半端に地に足を付けようとする作劇が目立ち、物語の大元をしっかり描き出さない中でその場その場の理屈を押し付け、そんな行為は薄い氷の上にベニヤ板だけ打ち付けて足場を作りましたと言っていることに等しいワケで、本当に物語に対する目線が明後日の方向に吹き飛びすぎてます。


「今は3000万年前とは違います! ユナには俺たちGUTS-SELECTがいます。絶対に運命は変えられます!!」

主人公と化したアキトの熱い宣言が決まり、ユナがエタニティコアにアクセスして集めた力をナースデッセイに集め、光と闇のトリガーの力に変えてメガロ大先輩Ⅱに打ち込む作戦に挑むGUTS-SELECT……多分、テッシン隊員は作戦の半分も理解してないでノリで決めてる。

そしてこんな状況においても「…賛成」という全然面白くないセリフしか与えられないヒマリ隊員が実に不遇で、ここ数話のヒマリの扱いの悪さはもはや訴訟を起こされてもおかしくないレベル。

更に作戦開始に際して、街の被害を食い止めるために海上への移動を促すのですが、中に乗ってるケンゴに釣られてか移動するナースデッセイにノコノコ付いていくメガロ大先輩Ⅱの姿が目を覆いたくなる間抜けっぷりで、移動するだけで大先輩を誘導できるなら最初から海上をウロウロしていれば良かったのでは?という疑問も発生してしまい、脚本も演出も本当に肝心なところで詰めが甘い。


イグニスからトリダーの力を受け取ったケンゴは新たに生まれたキーをブートアップ!

光と闇を纏った真の姿・トリガートゥルースとなってメガロ大先輩Ⅱとの最終決戦に挑み、

やってしまった、

(しかも浅瀬)での戦い。

そしてそんなトリガーの苦戦する姿を中継で見つめ、最終的には声援を送る一般の子どもたちによって力を供給するトリガー。

海上への移動で分かってはいましたが、中途半端な『ティガ』の再現をここに来て選択していしまい、"光と闇"の定義が不満でただでさえ足を引っ張る流れだったところに、トドメと言わんばかりに過去作要素がぶち込まれてしまい、完全に、作品のアイデンティティーを失ってしまいました。

海上移動の必要性の薄さ、劇中に欠如していた(というか皆無だった)一般人からの目線、声援が明確にウルトラマンを支える力になる等々ノイズになる事項が怒涛の勢いで押し寄せ、作品が積み重ねてきた要素をあっさりと押し流してしまい、「本作は『トリガー』なのか、『ティガ』なのか」という問いに対し答えを用意できずに最後は『ティガ』再現で誤魔化すといった手法で『ウルトラマントリガー』としての特徴を最終回において消失させることになってしまい、一体何を考えたらこんな酷いことが出来るのでしょうか。

「は、入ってきやがったぁ!?」

「闇がダーゴンの姿に?」

「こっちはヒュドラムだ!」

強いてあげるとしたら映像で見れば分かるのに、ご丁寧に状況を説明する緊張感の無いセリフ群が本作の特徴ですかね。


「何故、あたしを…闇を拒絶する…?」

「違うよ、カルミラ。僕は、光であり人である…そして闇でもあるんだ。だから、闇を拒絶なんかしない!」

GUTS-SELECTの面々が薄気味悪いスマイル教に目覚め、その支援によりメガロ大先輩Ⅱをタイマーフラッシュで爆殺したケンゴは泣き言をのたまうカルミラに寄り添い、うーん…カルミラに「拒絶」という単語を言わせるのなら、以前話した宇宙を闇の一族だけに塗り替えるという目的を概念的な"闇"と掛け合わせて掘り下げられる鉱脈はいくらでもあったと思われるのですが、ケンゴの考える闇は概念やメンタル的なものでなく、単純に「闇属性を持ったパワー」程度のものでしかないと解釈できず、セリフだけで色々説明していながら明らかに情報が不足していて、それをノリと勢いで誤魔化す本作の構造は極めて歪だと判断せざるを得ません。

色々めんどくさくなったのか、光を浴びたカルミラさんは満足して消失し、それを看取ったケンゴはナースデッセイに帰還。


しかし喜びも束の間、エタニティコアの暴走は止まっておらず、それを鎮めるためにコアに直接触れたケンゴはコアの中心に飛び込むことを決めていた。

「嫌だ…嫌だ嫌だ! 誰が笑顔で見送ってやるもんか! 笑顔になってほしいなら、一日でも早く帰ってこい…」

皆が皆つまらないリアクションをする中で、率先して主人公力とヒロイン力を発揮するアキトが今回の救いでしたが、仲間たちとついに花開いたルルイエ(一応前回、会長が目を向けて存在をアピールするも、例の如く物語に一切関係しない)に見送られ、コアに飛び込んだケンゴはコアと同化し…これは………

「ロボタック海に死す」。

 

メタルヒーロー》シリーズ17作目

テツワン探偵ロボタック

第45話「ロボタック海に死す」

(監督:ヒデ・I 脚本:山田隆司

主人公の犬型ロボット・ロボタックが天変地異を鎮めるため、仲間たちに白々しく見送られながら海に飛び込むという衝撃の最終回。

前作『Z』も最終回にて『ブルースワット』エンドを果たしましたが、《ニュージェネ》シリーズは《メタルヒーロー》シリーズと浅からぬ因縁があるのでしょうか…。

 

ついに迎えた最終回ですが、既に書いている通り救いようの無い事故っぷりでした。

変に理由付けしようとして肝心なところは見て見ぬフリをする設定、中途半端な『ティガ』リスペクト、雑といった表現すら相応しくないレベルでの演出の間抜けさ、どれを取っても褒められるポイントがほとんど無く、おまけに前回運命を乗り越えることを選んだユナの前で、自己犠牲を選ぶケンゴの姿が描かれ、否定したものを改めて肯定するにしてもあまりにも段取りが悪く、最後の悲壮な決断にも心を乗せることは出来ませんでした。

それはそれとして、唐突な"光と闇の同化"には現実社会における多様性への理解という側面もありそうですが、そういった部分を描写するにしても"光と闇"双方の掘り下げが本編で全く進められることはなく、「巷で流行ってるから取り入れてみようぜ」という感覚から来る上辺だけをなぞった多様性になってしまっており、中途半端な理解は逆に対立を生んでしまうのではないかと一抹の不安すら感じさせます。


本作の歪な構造についてもっと深掘りしていきたいとは思いますが、長くなると思うので『エピソードZ』公開前にTVシリーズのまとめ感想を軽く書いていこうと思います。

不満が先行した感想ばかりになってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

 


以上、『ウルトラマントリガー』でした。